2011年11月22日火曜日

牛渡川、鮭の遡上ふたたび

11月19日、一年ぶりで鳥海山麓の牛渡川に行ってきた。生憎の雨の中、今年も鮭の遡上を確認できて嬉しかった。また、この鳥海山麓の田畑をはじめ、列車で新潟に向かう列車の車窓からも白鳥の群れが何度か見えたのが印象に残る。鮭も白鳥も、学術的にまだ解明されていないものの、その本能に従って正確に目的地にたどり着くのは不思議としか言いようがない。今回はそうした大自然の摂理を身近に体感できた旅であった。夜は酒田の行きつけの居酒屋「ゆた華」で女将さんと話が弾んだ。

2011年11月14日月曜日

東行高杉晋作墓参のため長州へ

年に一回の東行高杉晋作墓参のため、11月10日、下関市小月(吉田町)にある、高杉晋作の墓に行ってきた。私は長府功山寺やここ東行庵に来るとパワーがみなぎる。わずか27歳の一人の若者が、この日本を一夜にして変えたパワーがどこにあったのか。「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し 衆目駭然として敢えて正視するものなし これ我が東行高杉君に非ずや・・・」伊藤博文が後年高杉を顕彰した碑文に書き込まれた有名な文言だ。これほど彼をして的を得た文言は見当たらない。元治元年12月15日わずか手勢80人で決起した雪の功山寺。山形有朋以下、諸隊が「時期尚早」と動かなかった中、彼は立ち上がった。「長州男児の肝っ玉をお目にかけ申す」と、その時功山寺方丈にいた三条実美ほか5人の尊攘派公卿の面前で挨拶したその心意気に感動を禁じ得ない。藩論を武備恭順、討幕に変え、時の長州藩政府を打倒しその後の幕長戦争(四境戦争)も勝ち抜き、天皇を中心とした新しい国家体制に変えていく。わずか百五十年前に実際にあったドラマだ。ああ心躍る。

日野原重明先生 100歳記念特別講演を聞いて

過日(11月7日)、銀座中央会館において、聖路加国際病院の理事長で名誉院長の日野原重明先生の100歳記念特別講演を聞きに行った。タイトルは「耐えて生きることから生じる喜び」
 先生は10月に100歳を迎えられてなお、お元気で講演や執筆活動等、毎日精力的に過ごされている。この日も椅子に一切座ることなく講演をされていたのが印象的だった。若い頃、2度も大病をされて、まさかそんなご自分が100歳まで生きることなど夢にも思わなかったと回顧されていたがまったくそうだろう。ましてや、そうしたご自分の辛い経験から、医師になってからは患者の苦しみを深く理解できるようになったとおしゃっていた。そして入院中の辛い時間を、いつもお母様が一生懸命看病してくださったことに感謝されていた。
 この日の公演は東日本震災復興チャリティーとして、福島県の被災者の方々を招待していて、コーラス講演もあった。