2011年11月14日月曜日

東行高杉晋作墓参のため長州へ

年に一回の東行高杉晋作墓参のため、11月10日、下関市小月(吉田町)にある、高杉晋作の墓に行ってきた。私は長府功山寺やここ東行庵に来るとパワーがみなぎる。わずか27歳の一人の若者が、この日本を一夜にして変えたパワーがどこにあったのか。「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し 衆目駭然として敢えて正視するものなし これ我が東行高杉君に非ずや・・・」伊藤博文が後年高杉を顕彰した碑文に書き込まれた有名な文言だ。これほど彼をして的を得た文言は見当たらない。元治元年12月15日わずか手勢80人で決起した雪の功山寺。山形有朋以下、諸隊が「時期尚早」と動かなかった中、彼は立ち上がった。「長州男児の肝っ玉をお目にかけ申す」と、その時功山寺方丈にいた三条実美ほか5人の尊攘派公卿の面前で挨拶したその心意気に感動を禁じ得ない。藩論を武備恭順、討幕に変え、時の長州藩政府を打倒しその後の幕長戦争(四境戦争)も勝ち抜き、天皇を中心とした新しい国家体制に変えていく。わずか百五十年前に実際にあったドラマだ。ああ心躍る。