2010年8月31日火曜日

会津から越後、そして信州へ

   赤蜻蛉 阿多々羅の空 智恵子いろ
 今月三回目の旅は、JR只見線から飯山線、そしてしなの鉄道の小諸までの700kmの旅となった。八月だから紅葉にはほど遠いが、稲が色づき伸びたススキの穂が残り陽に照らされ銀色に輝き、その中を赤トンボが舞うなど季節は確実に秋に向かっているのが感じられた。
 前回の大井川、天竜川に続き、今回も只見川、魚野川、信濃川、千曲川といった日本有数の川に沿って走り、中でも只見線などは雪国らしく多くがトンネルだった。
思うに日本は急峻な山岳地帯が多く、そこを源とする多くの川が滔々と流れている。そこを縫うように走る鉄道は、明治以来国民生活に密接に関わって来たがもうそれも昔の話、現代社会は車社会となり鉄道の使命も限られてきた。
 大井川鉄道のSLの車内同様、只見線も車窓は開け放たれ、大地の匂いや風の心地よさ、レールの軋む音などが五感に響く。
 以下気付いた点を書き留める。
①新鶴駅付近に鉄道防雪林あり。雪国ならではだ。
②会津板下は春日八郎のふるさとで今では少なくなった駅前食堂、その彼方にかかった入道雲が夏を演出する。駅を出て数分、山間に二羽のメスの雉が。自然が一杯。
③本名駅手前には雪国の知恵、高い棟で赤い屋根の民家多し。また本名駅を出ると長いトンネル。猛暑がうそのように、まるでアイスボックスにでも入ったように体が冷え込む。
④土市駅には傘が用意されていて人への気遣い、優しさが感じられた。
⑤越後川口付近で見た信濃川にかかる夕陽は忘れ難い。
⑥JRのキャッチコピー:祈りの里会津、恵みの里会津。忘れていた時間に会える。
⑦小諸の寅さん会館は今月二度目で、私の創った詩、《人間讃歌・寅次郎の涙》をご笑覧いただきたく差し上げて来た。
   どうした
   そんなに悲しい顔をして
   フラれでもしたか
   ・・・
   そうか
   そんな時は 泣けばいい
   思いっきり泣けばいいさ

   そりゃ俺にだって 悲しい時はあるよ
   今頃 柴又にいる
   さくらや
   おいちゃん おばちゃん
   どうしてるかなって

   そんなこと考えていたら
   涙が止め処もなく出てきてよ
   せめて照れ隠しに
   あの白い雲に向かって
   叫ぶのよ
   『寅次郎のバカヤロー』ってな

   理由はどうあれ
   男が一度 家を飛び出したんだ
   二度と帰らねえぞって思っていても
   さくらや
   おいちゃん おばちゃんに優しくされるだろう
   そのたび ついつい長逗留しちゃってさ
   それがダメなことぐらい俺にも分かっているさ
   そこに俺の居場所がないってことも
   だけどどうしても独り立ち出来ない
   寅次郎がいるんだな

   そしていつも『お兄ちゃん早く帰っておいで』っていう
   さくらの優しい声が耳から離れない
   だから悲しくて涙が零れ落ちるのよ
   分かるかい この気持ち え!    

 今夏は猛暑、飲料水の売上が好調と聞く。中でも私の好きな「綾鷹」などは品切れが目立ち、家の近くのスーパーなどでは他のお茶はたくさんあっても綾鷹だけは品切れ状態。駅のベンディングマシーンも同様。だがこの旅行期間中は不自由しなかったので有り難かった。やはりこれが一番。
 

2010年8月19日木曜日

大井川鉄道SL満喫と天竜峡の旅

 山間に 汽笛が響く 夏笑ふ
8月17日大井川鉄道千頭までSLで旅をした。このSLは昭和20年代には東海道線、その後北海道千歳線、更にはタイ国有鉄道で走っていたように、ある意味では時代に翻弄された格好で、ついに最後の活躍の場を再び日本のこの大井川鉄道に見出した。
 機関車の横腹にはタイの文字でタイ国有鉄道と書かれており、近々旧国鉄使用時のものに代えるとのことであった。
 さて、大井川はかつては雨が降ると暴れ川となり、旅人が何日も足止めになる厄介な川であった。今日は真夏の太陽に照らされて穏やかな川に戻っていたが、水の色が独特のブルーでこれは硫酸銅を含んでいるからだという。また、大井川鉄道の起点駅の金谷、ここは古くは東海道五十三次の二十四番目の宿場町として賑わい、当時の街道を復活させた石畳の歩道がある。これは平成3年に地元住民600名によって「平成道普請」として430メートルの区間を復活させたもので往時が偲ばれる。駅から歩いてほんの数分の所にあるので是非立ち寄っていただきたい。
 私が千頭から金谷駅 に戻ってみると、時刻はすでに13時を回っていてJR金谷駅は朝の混雑が想像も出来なくなっていた。駅員は無人、売店もシャッターで閉ざされ弁当を期待していた私は昼飯抜きになった。こんな所にも経営の厳しさが実感出来た。

 仕方なく私はその後、列車を乗り継ぎ豊橋駅から飯田線に乗った。豊橋駅売店でやっと弁当を購入出来た。3両編成の電車は途中、三河槙原駅付近で眼下に透明な水が赤みを帯びた褐色の岩盤上をすべるように流れているのが確認出来た。そこには多くの子ども達が気持ち良さそうに水遊びをしていた。夏真っ盛りである。
 
 以前私は旧国鉄の車掌だったこともあり、列車に乗っていても車掌の一挙手一投足に心奪われるが、この日もワンマンカー車内を汗かきながら大奮闘の車掌さんを見て内心、ご苦労様と思っていたところ彼は私がカメラを座席に置いていたことに気付き「トンネルばかりで良い写真が撮れないでしょう」と言葉をかけてくれた。確かにこの天竜峡付近はトンネルも多いがまたシャッターチャンスも多い場所だ。制服からして特急の車掌さんだなと見ていたら、案の定彼は天竜峡駅で上り列車のワイドビュー伊那路4号で豊橋に帰るとのこと、やはり特急列車の車掌さんだった。
 書きついでにもう一件、この日は飯田に泊まって、翌日の岡谷行の車内でのこと。若い車掌さんだったが途中の辰野駅での7分間の停車中、私の目の前の車内トイレを開けて水洗便所の水の流れ状況などをチェックしていた。こうしたことは内規などで定められているのかは定かではないが、おそらく車掌さん独断のチェック行為だと推察した。
 車内点検とはいえ、今までそこまでチェックしているのを私はかつて見たことがない。逆に悪い例で、最近では発車2~3分前に搭乗する車掌や、駅や車内放送などでこれはチョットと思われるものがある。例えば、「7時50分発○○行」を「ななじ50分発」と放送する車掌、そして次の瞬間プロが作成した駅の放送で「しちじ50分発○○行」となっているのを確認するに至り、こうした些細なことかも知れないが統一されていないなという印象を持っている。だからこそ私は今回のこの車掌のトイレ点検、そして機敏な行動に大いに感動した次第。

2010年8月3日火曜日

シモツケコウホネ絶滅危機

 8月2日雨の中、東武日光線下小代駅からほど近いシモツケコウホネが咲く里へふたたび立った。立ったものの様子が一変していたので驚いた。田畑の区画整備事業のことは「シモツケコウホネと里を守る会」の会員だから当然知ってはいたものの、何しろこの時期なら相当数のコウホネの可憐な花が見られるところ水面から出た花は3本、水中に5本と数えるほどだった。雨で水量が多いこと、また全区画を見てないので総量は推測するしかないが、守る会の柴田さんの話では水の綺麗な証でもある梅花藻も今では流されてしまって無くなってしまったとのことだった。愕然とした。
 今後コウホネを守るために私たちは一体どうすれば良いのだろう。世界にここにしか確認されていない「シモツケコウホネ」。日本で唯一、国の特別史跡および特別天然記念物の二重の指定を受けた新種シモツケコウホネ。コウホネ自体は日本各地に生息するが何がそれらと違うか。まず茎の色、一般的には緑色だがここのコウホネは褐色。花は濃い黄色で花芯は山吹色だ。また、河ワカメと言われるように葉は常に水中にあり水上に出ることはない。色は褐色でちょうどワカメのようだ。今回この窮状をつぶさに見て、私は何とかすべく私なりに最大限努力してみたいと考えた。なぜならこのコウホネは私たち人間が生きるに際してのひとつの環境バロメーターだと考えているからだ。





周囲の環境は良い