山間に 汽笛が響く 夏笑ふ
8月17日大井川鉄道千頭までSLで旅をした。このSLは昭和20年代には東海道線、その後北海道千歳線、更にはタイ国有鉄道で走っていたように、ある意味では時代に翻弄された格好で、ついに最後の活躍の場を再び日本のこの大井川鉄道に見出した。
機関車の横腹にはタイの文字でタイ国有鉄道と書かれており、近々旧国鉄使用時のものに代えるとのことであった。
さて、大井川はかつては雨が降ると暴れ川となり、旅人が何日も足止めになる厄介な川であった。今日は真夏の太陽に照らされて穏やかな川に戻っていたが、水の色が独特のブルーでこれは硫酸銅を含んでいるからだという。また、大井川鉄道の起点駅の金谷、ここは古くは東海道五十三次の二十四番目の宿場町として賑わい、当時の街道を復活させた石畳の歩道がある。これは平成3年に地元住民600名によって「平成道普請」として430メートルの区間を復活させたもので往時が偲ばれる。駅から歩いてほんの数分の所にあるので是非立ち寄っていただきたい。
私が千頭から金谷駅 に戻ってみると、時刻はすでに13時を回っていてJR金谷駅は朝の混雑が想像も出来なくなっていた。駅員は無人、売店もシャッターで閉ざされ弁当を期待していた私は昼飯抜きになった。こんな所にも経営の厳しさが実感出来た。
仕方なく私はその後、列車を乗り継ぎ豊橋駅から飯田線に乗った。豊橋駅売店でやっと弁当を購入出来た。3両編成の電車は途中、三河槙原駅付近で眼下に透明な水が赤みを帯びた褐色の岩盤上をすべるように流れているのが確認出来た。そこには多くの子ども達が気持ち良さそうに水遊びをしていた。夏真っ盛りである。
以前私は旧国鉄の車掌だったこともあり、列車に乗っていても車掌の一挙手一投足に心奪われるが、この日もワンマンカー車内を汗かきながら大奮闘の車掌さんを見て内心、ご苦労様と思っていたところ彼は私がカメラを座席に置いていたことに気付き「トンネルばかりで良い写真が撮れないでしょう」と言葉をかけてくれた。確かにこの天竜峡付近はトンネルも多いがまたシャッターチャンスも多い場所だ。制服からして特急の車掌さんだなと見ていたら、案の定彼は天竜峡駅で上り列車のワイドビュー伊那路4号で豊橋に帰るとのこと、やはり特急列車の車掌さんだった。
書きついでにもう一件、この日は飯田に泊まって、翌日の岡谷行の車内でのこと。若い車掌さんだったが途中の辰野駅での7分間の停車中、私の目の前の車内トイレを開けて水洗便所の水の流れ状況などをチェックしていた。こうしたことは内規などで定められているのかは定かではないが、おそらく車掌さん独断のチェック行為だと推察した。
車内点検とはいえ、今までそこまでチェックしているのを私はかつて見たことがない。逆に悪い例で、最近では発車2~3分前に搭乗する車掌や、駅や車内放送などでこれはチョットと思われるものがある。例えば、「7時50分発○○行」を「ななじ50分発」と放送する車掌、そして次の瞬間プロが作成した駅の放送で「しちじ50分発○○行」となっているのを確認するに至り、こうした些細なことかも知れないが統一されていないなという印象を持っている。だからこそ私は今回のこの車掌のトイレ点検、そして機敏な行動に大いに感動した次第。