2007年9月17日月曜日

青函連絡船今昔

 旧国鉄時代のこと、日本の輸送の大動脈として、本州と北海道を4時間で結んでいた青函連絡船。それも今では遠い昔のこととなってしまった。しかし、今年(平成19年)9月1日、新たに豪華高速フェリー「ナッチャンLera」が最速1時間45分で青森と函館を結んだ。
 私、竹原洋介は、その記念すべき処女航海の日、函館発、朝7時30分の青森行の一番船を快晴のもとで見送った。
しかし、私の思惑とは裏腹に、会場のフェリーターミナルは、記念の横断幕や華々しいレセプションもなく、数人のコンパニオンに見送られるだけの実にひっそりとしたものだった。このことはJR函館駅とフェリーターミナルとを結ぶ地元の帝産バスの運転手さえあっけにとられるほどだった。当日の一番船に合わせて、会社では2台の送迎バスを予定していた。しかし1台はキャンセル、運行の1台も、座席に相当の空席が目立つ。
 また、前夜、私は市内の居酒屋で聞き取りをしたところ、連絡船の就航について多くの人が知ってはいたが、具体的な就航日までは知らない人が多かった。それもこれも、地元の行政、JR北海道、報道各社、それに何といっても住民の盛り上がりが乏しかったと言わざるを得ない。因みに、運営会社は東日本フェリーだ。JRにしてみれば競争相手だからなのか、函館駅での案内などもない。しかし、この開業は少なくとも北海道民にとっては、待ちに待った言わば活性化の起爆剤としてのイベントのはずだ。すべての関係機関が一丸となって、本州からのお客様を「ようこそ!」と迎える気持ちが必要なのではなかろうか。少なくても私にはそう思えて、地元の盛り上がりを一番に期待していただけに残念でならない。しかし今後、是非とも「頑張れ!」とのエールだけは送り続けたい。私は、旧国鉄時代の「摩周丸」に何度も乗船した。あの出帆を知らせるドラの音や蛍の光、それに洋上を浮遊する色とりどりのテープ。旅人にとってすべてを感傷的にさせるには十分の舞台演出だった。しかし、そうした古いタイプの旅と決別して、現代の船旅は思った以上に明るく思えた。そういう意味では、私の知る「旅情」溢れる旅というものはもう今やいずこ。