2007年10月31日水曜日

一日三感動の勧め

 10月31日(水)久々に早朝、散歩した。朝日が眩く、周囲の木々も最後の輝きを見せる。特に団地内の銀杏並木は素晴らしい。
 ところで、以前JRの関連企業(サービス業)の非常勤講師を依頼されて数年間、春先の3日間、現場第一線の若年社員を前に講義を行ったことがあったが、その講義の中で私は、「一日三感動の勧め」を奨励した。
 人はややもすると、日々の業務に埋没して「感動」することなく生活してしまう。感動するということは、人間本来の生活に戻ること。一見、一日に三度も感動するということは至難の業のように思える。しかし、良く考えてもらいたい。例えば、通勤途上、路傍の名も無い小さな黄色い花を見て感動、また、駅で中年の女性が混雑の中、母親だろうか、老婆の手をとり寄り添うように階段を登って行くのを見て感動、はたまた、駅の整列乗車に駅員が奮闘しているのを見ては感動といった具合に、視点を少し変えることで私たちの周辺には「感動」がキラ星のごとくある。
 実は今日、散歩をしていて感動をした。三郷駅に向かう歩道で、タバコの吸殻をひとつづつ拾い集めているナイスミドルがいた。心無い者の後始末を全くタバコに縁のない人が始末をする。頭が下がる思いと同時に爽やかな気持ちになった。それに秋の太陽の程よい暖かさや早朝の空気の美味しさに感動。最後は家に帰る道すがら、息子(二男)が自転車で急いで駅に向かうのに出合った。あちらは気付かなかったようだが、父親とすれば一人前に通勤する息子の姿を見てその逞しさに感動した。