2008年3月5日水曜日

伊豆は冬と春が同居?

2月26日伊豆に。
 伊豆は小学校の頃から何度となく行っているが、今回は初めてとなる中伊豆の旅だった。伊豆は気候温暖で特に春の海など、それこそ「春の海 ひねもすのたり のたりかな」そのままだ。それまでの私は、友人に「伊豆に行くなら何といっても海が素晴らしい西伊豆だ」と勧めていたが、今回の旅で中伊豆もなかなかのもの、特に湯ヶ島の宿「木太刀荘」は世古渓谷を見事に借景にしていて旅人の心を癒してくれる。大浴場のほか、大きなたらい?のような浴槽の風呂場や洞窟風呂、家族風呂など湯好きな私も大満足。変わった所では自然を大切にしているという点、朝、食堂の外、ちょうど私が見える位置に野鳥が何度も飛んでくるので良く見たら巣箱が設置してあった。自然と共生しているということだろう。いつの日か、僭越ではあるが川端康成や井上靖のように小説を書く機会があったら是非この「木太刀荘」でペンを執りたい。

 さて、のっけから宿の宣伝マンになってしまったが、宿に入るまでの数時間は散策を試みた。バスで河津七滝のひとつ大滝(おおだる)を訪ねた。日当たり少ない周囲鬱蒼とした林の中にそれはある。この時期としては水量が豊富で実に絵になる。また、大滝に降りる途中に子宝の湯があった。昨今、少子高齢化だ。是非あやかってほしい。余談はさておき、入り口付近に河津桜が濃いピンクの花びらをつけていて一足先に春の到来を告げていた。
 その後、再度バスに乗り水生地下で下車し川端康成文学碑を経て天城随道(旧天城トンネル)まで、みぞれまじりになった山道を残雪を踏みしめながら登った。先の河津桜を見てからのこの雪道だ。伊豆はめまぐるしく冬と春が同居しているように思えた。

 翌日は素晴らしい晴天で、列車が修善寺を出るとすぐに雪をいただいた秀峰富士が現れた。周囲の山々には雪は見当たらなかったが、富士だけが麓近くまで雪に覆われていてさすが日本最高峰だと感心した。
 この日の次なる目的地は三島の柿田川。数年前にも訪ねたことがある。10年から20年を経て富士の雪解け水がここ柿田川付近で地表に湧き出る。地下からボコツ、ボコツと湧き出るのが肉眼でも確認出来た。ここの湧水は、1964年に日量140万トンあったものが、1993年には100万トンに減少している。主な原因として、富士山東山麓に進出した企業による地下水の汲み上げ、また、ゴルフ場、宅地開発などによる雨水の地下浸透量減少が考えられるという。このままでは湧水量が減るばかりでなく、狩野川を経由して駿河湾に 注ぎ魚介類を育ててきた「命の水」が、その役目を果たさなくなる日到来も現実味を帯びてくる。
 さて、ここ柿田川周辺には貴重な動植物が生息している。清涼な川の証でもある有名なミシマバイカモ(初夏に淡黄色の花をつける)をはじめ、アオハダトンボ、アユカケ(俗にカマキリと呼ばれるが川底をはうように動き、えらぶたの上部にあるトゲでアユなどを捕らえ食べるカジカの仲間)など。また、柿田川は数百メートル先で伊豆の狩野川に注いでいるが、合流地点の水の色が雲泥の差で柿田川の透明性が証明される。以前、私は新聞誌上でオイル(石油)に次ぎ、今後は水が紛争の火種になるとアジアの水資源を例に警鐘を鳴らした。そして国内では郡上八幡を皮切りに、旧中山道の奈良井宿、安曇野、久留里、そして鳥海山を遠望出来る牛渡り川まで、水資源を題材に旅をし、「竹原洋介旅便り」(織姫新聞)でご案内してきた。さらに柿田川については、拙著『日本讃歌』の(大いなる大地の恵み・伏流水)の章でも書いた。昨今、地球規模での環境破壊が顕著になり様々な分野で叫ばれる中、こうした問題は他人事では済まされない。そういう意味でも今夏、日本で開催される北海道洞爺湖サミットが注目されるところだ。
   河津桜の濃いピンクが
   ひと足先に 春の到来を告げている
   一方 随道に向うなだらかな登り坂には
   いまだ多くの雪が残る
   かつて踊り子が通ったであろう
   この九十九折りも
   今はひっそりと時を刻んでいる
   そして かじかんだ手に
   息を吹きかけながら 
   私はひとり 峠を越えた
   雪の上に
   しっかりとした足跡を残しながら