2008年1月11日金曜日

春の訪れ北帰行


 千葉県印旛郡本埜村。この地が全国的に知られるようになったのはつい最近。NHKで放映された白鳥の飛来地としてだ。極寒の北極海から越冬のために飛来する白鳥は、南は九州に至るまで全国々浦々に及ぶ。
 しかし、ここ本埜村はその飛来数で他を圧倒しピーク時には八百羽を超える。昨年10月13日に飛来してその後数を増やした。現在、八百四十羽だという。この地が他の飛来地と違っているのは、白鳥のためにこの時期だけ作られた一町歩の水田にひしめいていることだ。しかし、今回私が訪れた1月10日は少々様子が異なっていた。お目当ての白鳥は数羽しか見当たらず、同じ渡り鳥の鴨が数百羽賑わっていたからだ。この地で餌付けをしている出山さんの話によると、白鳥は鴨に追い出されるように、ここから数キロ先の自然の餌が豊富な田に出張?しているとのこと。

 いつものように出山さんが幼稚園児に白鳥の話をしていて、終えるのを見届けると私は出山さんの車に便乗させていただきその白鳥がいるという田に案内してもらった。すると、いることいることその数は数百羽。
 しかし、この白鳥たちもあと二ヶ月もすると再び旅立つ。その頃になると食が細くなるからその仕草で早晩飛び立つことが分かるらしい。そして春一番が吹くと時を同じくして、その南風を追い風に飛び立って行く。いかに本能とはいえ私たち人間は、そうした鳥たちの習性から春の到来を予感する。
 この本埜村に 初めて白鳥が飛来したのが平成四年。この時わずか六羽だったがその後、倍々ゲームで増え続けてきた。
 今は亡き出山翁が、手塩にかけてわが子のように愛情を注いできた産物だ。今ではご子息の輝夫氏と地元の「白鳥を守る会」の方々に見守られながら、親から子へ、そして孫へと大自然の摂理に従って、まるで精緻な計器でも内臓しているかのように毎年この地にやって来る。
 「本当に可愛い子供たちですよ」と、指定保護鳥に目を細める輝夫氏。彼は白鳥から多くの事を学んだという。当初、自然界で育った白鳥に餌付けをすることが、本当に彼らのためになるのかという素朴な疑問があって、地元でも根強い反対意見があった。しかし、全地球規模で環境破壊が進む中、今ではそうした人たちも最大限の協力を惜しまなくなったという。

 「大変悲しいことですが、自然界で育った動物にも餌付けをしなければならないような地球環境になってしまった。壊すのは簡単ですが、取り戻すのは容易ではない。その点まだここ本埜村に、人と鳥との共生の場があることに私は誇りを持っています」と感想を漏らしたのが印象的だった。
 「白鳥を守る会」の方の話によると、朝7時と夕方4時の餌付け時間がくると、白鳥たちは一斉に、餌を運んでくれる輝夫氏宅の方角に首を向けて鳴いたり、また、真夜中に仲間が数千キロの彼方から飛来するのを察知してか、北の空に向かって合唱するという。これらは学術的には到底説明のつかない摩訶不思議な習性だ。こうして見ると鮭の遡上などもそうだが、まだまだ自然界には学術的に説明困難なものが多い。
 さて、このように自然保護に取り組んでおられる方々だが悩みの種がある。一部訪問者のマナーの悪さだ。犬や猫同伴の者や、夜間ヘッドライトを点けたままの見学者など、警戒心の強い白鳥だからこそ最大限の注意をはらって欲しいという。
 この本埜村にいつまで白鳥が飛来し続けるか知る由もないが、それは取りも直さず私たち人間が暮らしていけるかどうかのバロメーターであることを肝に銘じたい。
  そうした観点から今後、次代を担う若者たちがこれら実態を見て、動物たちの生態系や地球環境保全に、少しでも興味を持ってくれればと願わずにはいられない。それはともあれ春は目前だ。