2007年11月26日月曜日

九州は ♂元気印♂

 今回縁あって九州佐賀の「多久聖廟」にお邪魔し、多久市、多久市教育委員会、財団法人「孔子の里」主催による「第10回全国ふるさと漢詩コンテスト」の表彰式及び最優秀賞碑文の序幕式に参列させて頂いた。併せて幕末の志士たちの舞台にもなった長崎、また、その志士たちに多大な思想的影響を与えたとされる高山彦九郎が眠る久留米の遍照院、それに国宝「漢委奴国王印」の金印が発見された志賀島を望む博多に旅した。
 まずは「丹邱(仙人が住むような風光明媚な所)の里」佐賀県多久市の「多久聖廟」からご案内しよう。

その名が示すとおり周囲山で実に閑静、心が癒される。宝永5年(1708)四代邑主多久茂文が、領内の平和と繁栄を願いこの地に儒学の祖、孔子を祀る聖廟を創建した。来年がちょうど節目の創建300年を迎える壮麗な建物だ。



 室内には他の孔子廟には見られない様々な文様が描かれていて、四霊と貴ばれる麒麟、鳳凰、龍、亀に加え、鯉など日本的な文様も混じる。聖廟正面には孔子像を中心に顔子、曽子、子思子、孟子といった孔子の弟子たちが配列されている。
 ここ多久聖廟は、毎年春、秋に孔子を偲んで中国古来の祭典、「釈菜」が行われる。敷地には学問を好み儒学を尊ぶ多久茂文が、身分の区別なく学べる学問の府「東原庠舎」を併設した。また、聖廟へと続く聖堂小路には昔ながらの槙の生垣が続き、藩政時代の薫りを今なお留めている。

 それとは別に、佐賀藩と言えば近代日本の黎明j期である維新の頃、私がまず思い浮かべたのが各種近代法制を確立し、初代司法卿そして参議を歴任した江藤新平だ。しかし彼は明治7年(1874)朝鮮出兵を巡る、いわゆる征韓論問題で運悪く自身が貢献した時の政府に梟首されている。歴史とは時にはそうした皮肉な結果を招く。

 さて、今回の私の旅は長崎、多久、久留米、福岡だったが、幕末に興味ある私にとって、長崎と言えば何と言っても史跡料亭「花月」だ。江戸の吉原、京の島原、長崎の丸山は天下の三大遊郭として名を馳せた。ここ丸山の花月(引田屋)は寛永9年(1642)創業というから360年を超える老舗で、特に幕末の頃、尊王攘夷を標榜する志士たちの溜まり場となっていた。柱に坂本龍馬の刀傷も残る。映画「ぶらぶら節」もここで撮影された。その後、昭和35年長崎県の史跡に指定され、全国的にも珍しい「史跡料亭」として営業されている。館内の集古館には頼三陽や坂本龍馬等の直筆の書が展示されていて多くのファンを喜ばせてくれる。


 また、グラバー邸は、長州の高杉晋作、伊藤俊輔(博文)がグラバーにイギリスへの渡船話や来る倒幕に向けての武器購入、蒸気船の購入話を持ちかけたとされる応接間が今も残されていて当時の晩餐を彷彿とさせる。
 久留米は遍照院。ここは私が生まれ育った栃木県足利市から程近い、群馬県太田市細谷に生まれた「寛政の三奇人」のひとり高山彦九郎が、北海道を除く日本中を旅して最後に辿り着いた場所だ。
ここで自身の思想があまりにも当時としては斬新すぎたのだろう周囲に理解してもらえず悲観して自刃している。しかし彼の志はその後、吉田松陰、そして弟子の高杉晋作等に受け継がれて見事開花した。蛇足ながら重要なことなので留めて置きたいが、長州藩士吉田寅次郎矩方が安政5年後半から吉田松陰と名乗るようになったのは、実はこの遍照院にある高山彦九郎の墓に刻まれた戒名「松陰以白居士」から採ったものと、私は他の状況とも関連して断定し、誌上に発表したところ太田市細谷にある『高山彦九郎記念館」の関係者も驚かれていた。
 松陰は常々、自分は彦九郎の後塵を継ぐ覚悟と言ってきた。彦九郎に心酔していた寅次郎のこと、まさにこの戒名から採ったことは疑いのないところだ。しかしそのことはあまり知られていない。
 その後、意志を引き継いだ松陰が、彦九郎の思想を高杉晋作はじめ松下村塾生に伝えて新しい時代が到来したことは周知のとおり。
 次に福岡は志賀島を眼前に望む福岡タワー。志賀島は「漢委奴国王印」と刻まれた金印が天明4年(1784)に発見された島だ。この周辺は古くから大陸との交易が盛んに行われていたと見られる。その国宝の金印が現在、福岡タワー近くの福岡博物館に現存するのでこちら方面に旅行された場合には是非立ち寄っていただきたい。入場料200円。
 以上のように今回の旅は有意義な旅で、一言で言うなら「九州は元気だ」という印象が強い。唐津くんちやバルーンのイベントに多くの人々が参加して、その熱気は十分伝わってきた。最後に、前述の多久市長に、来年多久聖廟創建300年と足利学校「釈奠」100年というそれぞれ節目の年を迎えるので、これを機に出来たら多久市と足利市両市民の交流の場を設けたいという私の提案に対して市長から全面的協力の快諾を頂いた。今後はこれをどう進展させていくか、知恵の出しようでもある。同時に各方面からのご協力も頂きながら是非成功に結び付けたら嬉しい。