2011年9月30日金曜日

戊辰戦争最大の激戦地 北越を訪ねて

 奇兵隊 異国信濃に 眠る秋

 来年1月の交通新聞の取材「奇兵隊残照」で、新潟県小千谷市と柏崎市を訪ねた。北越の蒼龍、河井継之助の前に、幕軍の死傷者400名に対して勝利者のはずの官軍側が1000名という痛ましい結果となった。
 小千谷市船岡にある招魂所には、高杉晋作と松下村塾で親交のあった時山直八の墓や、晋作が命名したという珍しい名、「無敵幸之進勝行」の墓もある。多くは年輪もいかない若者の墓である。
 柏崎小学校に隣接の招魂所には、高杉晋作が四国亡命の際、匿われた四国の侠客で勤王の志が高い日柳燕石が眠る。いつの世も戦争とは無残なものである。

2011年9月9日金曜日

おわら風の盆

 例年九月一日から三日三晩、越中八尾で踊られる「おわら風の盆」。 胡弓と三味線の音色が何とも物悲しく奏でられる。
   なまめかし 白きうなじや 風の盆
   
   酔芙蓉 わが恋に似て 赤く燃ゆ

 「おわら」の語源について地元の人に尋ねたが知っている人は少なかった。諸説あるらしい。大笑いという言葉をはさんで町内を練り廻ったのがいつしか「おわら」になったというものや、豊年万作を祈念した「おおわら(大藁)」説、小原村の娘が歌い始めたからという「小原村説」など・・・
 私は風の盆に限らず、各地に残るこうした唄などにはやはり地名というか、出所をあらわすものが多いと考えている。この場合では小原村説が有力だと見ている。
 八尾では旧町「東新町」「西新町」「諏訪町」「上新町」「鏡町」「東町」「西町」「今町」「下新町」「天満町」「福島」の11の町にそれぞれおわら保存会が組織されていて、おわら風の盆はその支部ごとに日程を定めて行っている。
 私は二時間、かつては花街として賑わったという鏡町のおたや階段前で立ったままで踊りの進行を待った。途中、おりしも台風12号の雨が降って一面傘の花が咲き、開催が危ぶまれたものの、予定の時刻には幸いに雨も止みどうにか開催にこぎつけた。幽玄な、そして心に沁みる音色に満足した私であった。