2009年6月14日日曜日

辞世の句

 いつの世の頃か、知識人の間で今生の思い出として、辞世の句なるものを残す習慣が定着するようになった。有名人のものとして主だったところでは、豊臣秀吉の「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」、西行の「願わくは花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」、吉田松陰の「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」などがある。
 また、死の間際でよくもまあという、こんな句もある。十辺舎一九の「この世をばどりゃお暇してせん香の 煙とともにハイ(灰)左様なら」、都々逸坊扇歌の「都々逸もうたいつくして三味線枕 楽にわたしはねるわいな」など。
 そして私の好きな高杉晋作の「おもしろきこともなき世を おもしろく・・・」があり、下の句を後世にゆだねたものまである。彼らしいといえば彼らしいのだが。ここでは確かに晋作が生きた幕末、「一日一生」という先が全く読めない時代で、彼ほど私たちに人間究極の生き様を見せつけてくれた人間はいないと思う。それも二十七歳という若者がである。
 人それぞれ己の生きた時代の、それも死に直面した最終場面での感慨である。
振り返って、私ならどんな終局を迎えるのだろうか。残り少なくなればなるほど考える今日この頃である。