五月十七日、足利市民に朗報が届いた。「鑁阿寺本堂(ばんなじほんどう)」が国宝に指定された。これからこれを起爆剤として旧市街も活性化して、夜も賑わう街に変貌させたい。
「何かが変わる今、足利が面白い 足利ルネッサンス」
五月十七日、足利市民に朗報が届いた。「鑁阿寺本堂(ばんなじほんどう)」が国宝に指定された。
年に一回の東行高杉晋作墓参のため、11月10日、下関市小月(吉田町)にある、高杉晋作の墓に行ってきた。私は長府功山寺やここ東行庵に来るとパワーがみなぎる。わずか27歳の一人の若者が、この日本を一夜にして変えたパワーがどこにあったのか。「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し 衆目駭然として敢えて正視するものなし これ我が東行高杉君に非ずや・・・」伊藤博文が後年高杉を顕彰した碑文に書き込まれた有名な文言だ。これほど彼をして的を得た文言は見当たらない。元治元年12月15日わずか手勢80人で決起した雪の功山寺。山形有朋以下、諸隊が「時期尚早」と動かなかった中、彼は立ち上がった。「長州男児の肝っ玉をお目にかけ申す」と、その時功山寺方丈にいた三条実美ほか5
人の尊攘派公卿の面前で挨拶したその心意気に感動を禁じ得ない。藩論を武備恭順、討幕に変え、時の長州藩政府を打倒しその後の幕長戦争(四境戦争)も勝ち抜き、天皇を中心とした新しい国家体制に変えていく。わずか百五十年前に実際にあったドラマだ。ああ心躍る。
はさんで町内を練り廻ったのがいつしか「おわら」になったというものや、豊年万作を祈念した「おおわら(大藁)」説、小原村の娘が歌い始めたからという「小原村説」など・・・
テレビで見てある程度は想定内のつもりだったが、峠を越えるあたりから次第に迫る高田市は想像を絶する悲惨なもので、これを一体どう表現したら良いのか戸惑った。というのも山積みにされた瓦礫もさることながら、大量の埃が白く細長く垂れ込めた雲に似て浮遊していたからだ。折からの海風でそれが徐々に山に向かって移動していた。この埃には臭いは全く感じられなかったが、おそらく大量の乾ききった瓦礫から発生したものだろう。このようにかって
私が体験したことのない異様な光景が眼前に広がってきた。そしてここまで私が運転してきたレンタカーも一瞬のうちに白い粉をかぶった。
上げ懇親を深めた。テーブルに並べられたそれら写真を見て涙する人もいた。駅舎は今、どこにあったのかも特定できてないし、松原は地盤沈下によって跡形もない。今になってみれば、私がその時、無意識に撮った写真がこれほど貴重なものとなり住民に喜んでもらえるなんて思ってもいなかったし実に皮肉なことだ。
12月25日クリスマス。再度私はこの陸前高田を訪れ皆さんとお会いすることを約束して分かれた。今、東北各地は夏祭りだ。この陸前高田市も気仙町を中心にして「けんか七夕祭り」が開催されようとしている。4台の山車のうち3台が流失し、今後毎年1台づつ復活していこうとしている。祭りが被災住民の心を和らげ癒すことを切に願いたい。

35年ぶりの上高地は、過日の大崩落事故から今は突貫工事で緊急避難的に片側通行になっていた。眼前の穂高は雲に覆われてはいたものの、時折、頂上まで見渡せた。梓川の流れとともに、日本にこれほどの桃源郷は他にはないのではなかろうか。私は何も考えず素晴らしい環境に魅入ってしまって、気付けば1時間ほどの「時」が過ぎていた。
6月25日、40年ぶりに佐渡へ渡った。台風が朝鮮半島に向かったとはいえ、あいにくの雨。両津港からレンタカーで佐渡一番の景勝地外海府へ。先端の弾崎灯台は映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台にもなった。灯台から二ツ亀、大野亀を経て尖閣湾方面へ。途中、大雨で滝のように水が山から落ちてくるところもあった。結局、車を降りることなく相川から再び両津にもどった。
夜はやっと雨も上がり、宿近くの居酒屋に。ここで客はたった一人、なじみ客のようだ。ただこの方の奏でるコカリナ(オカリナではない。木で造った楽器)はなかなかのもので、「ふるさと」演奏にしんみりした。来年の薪能の情報も送っていただけることになった。佐渡に流刑になった世阿弥により、雅な能が伝来して500年。次回は必ず見てみたい。佐渡~信州松本へ。いつもの「蔵佳」へ。
うしたダイナミックな砂浜はいくつあるのだろう。
うな雰囲気の川があり、その川に面した居酒屋に決めた。数種類の貝類をつまみの冷たいビールは格別。旅にはこれがあるから楽しい。
みには時期はずれのおでん。でも美味しかった。
奈良は、甘樫の丘から春霞の大和三山を見て、石舞台、飛鳥寺、そして法隆寺、中宮寺を訪ねた。
1月20日 函館本線八雲駅付近で、降雪のためポイントが転換出来なくなり40分ほど止められた。そうしたことからこの日の目的地小樽には19時15分到着。
1月21日 特急スーパーカムイで深川で下車。留萌本線で留萌へ。ちょうど昼時で、留萌駅には駅ソバがあり助かった。近年、多くのJRの立ち食い駅ソバが無くなって寂しい。体の中から温まった。ここから乗り継いで目的の終着増毛駅に。これで約10年かかった私のJRどん詰まり駅踏破も終了した。
輪島は想像に反して路上は雪が殆ど見られなかったが、夕闇が迫る頃、やはり降ってきた。今回の目的のひとつが、旧国鉄時代の輪島駅の駅名表示板を確認したかったこと。そこに「シベリア」の文字があったからだ。
クルにて街に出ようと駅前を出た矢先、寒雷、そして大量の雹、瞬く間に路面は白くなりとても自転車を運転できる状態ではなくなった。やむなく駅の喫茶店で時間を潰すことに。
酒田は七度訪ねているものの、私はいつも鳥海山麓牛渡川や滝ノ浦地区など鳥海山の雪解け水が湧水となり地上に出て来る場所を選び訪ねていた。そんなこともあり今まで一度も酒田市内を見学したことのないある意味では異常な旅をしていた。
翌日は諏訪大社へ。ここでは現在下社が改装中で、上社には七五三詣での着飾った多くの子どもたちが、父親のカメラの前で緊張気味にポーズを取っていた。